日本史の教科書


ここ最近は、多くの時間を投稿論文の執筆、推敲に当てています。
指導教員にも丁寧にチェックしてもらい、再考しているわけですが、
自分の日本語力の低さ、論理展開力の低さ、詰めの甘さなどが散見されて、いやになります。
一足飛びには、上達しないでしょうから、今ある結果を精一杯活用して
自分の力量を上げないといけません。やることは、まだまだたくさん。
週末は、来年度応募する研究助成金の申請書作成に時間を割かなければ。。。
時間はいくらあっても足りません。



とはいえ、公聴会も終わり、精神的にも肉体的にも余裕が出てきたので、
また読書欲が戻ってきました。最近、面白いなと思って読んでいるのがコレ。

もういちど読む山川日本史

もういちど読む山川日本史


出版されてのは数年前ですが、なんか久々に日本史の教科書を読みたいなと思って購入しました。
学校の教科書は、史実がのみが淡々と時系列で描かれているだけですが、
それでも、今こうして大人になって、もう一度日本の歴史を大まかに全体像をとらえなおすのも
何かトピックごとに歴史を深く学ぶときにきっと役立つだろうなと思って読み始めました。


そうしたら、結構習った当時とは史実が変化していることに驚きました。
変な言い方ですが、歴史もアップデートするんですね。
通勤電車で、山川の教科書を読む。なんだか、高校生のテスト前に戻った気分で、
自分が若返ったような錯覚を覚えます。蛍光ペンでも持とうかな♪(笑)

土木の日

11月18日は土木の日です。十一十八。重ねると土木です。
あまり土木の日っぽいことはできませんでした。


公聴会が終わってからというもの、もう少し日々に余裕が出るかと思いきや
帰宅時間もあまり変わっておりません。仕事のやり方がよくないのかもしれませんが、
いろいろとやることが山積しており、充実した日々が送れています。
特に近日は物書き(各種論文や申請書等の作成)が多い。


中でも一番難しくて、面白いのは研究チームミーティング。
M1とドクター(留学生)という、まったく異色の2人を同時に相手するのはなかなか難しい。
私だって、答えを知っているわけではなわけで、毎回手さぐりで懸命に前進しているような状態。
いろいろと考えてきてくれたことに対して、最大限尊重しつつ、
助言をしたり、自分の考えを示して、考えてきてもらう。
もはや誰も、その場で自分を批判的に指示してくれる人はいないわけで、こればっかりは慣れないといけません。



うーん。書いてみたら、十分土木の日を満喫していました。

自主的な見学会

やっぱり、素晴らしい構造物を見ることは大切です。
感性も豊かになるし、技術者への考えや思いが非常に勉強になります。


今日は、前々から行きたいと思っていて行けていなかった、
首都圏外郭放水路(最寄駅:埼玉県南桜井駅)を見てきました。通常は平日しか公開していないのですが
特別に2日間週末に開放日を設けていました。排水用のポンプ施設も8年ぶりに公開中でした。



(川に流れる雨水を一時的に溜め込み、洪水被害を軽減する調整池。年7,8回平均で稼働しているみたい)



写真を見てもわかるように、大勢の人が列をなして見学に来ていてびっくりしました。



一緒に行った、研究室のOBと壁や柱、床を見て、疑問点を話し合いながら歩く。
また、お互いが知っている情報を出し合って、互いに勉強する。
こういうの楽しいです。


そのあと横浜まで一緒に帰ったのですが、車窓から見える橋や構造物について、
また議論を重ねる。傍から見たら、変な人たちでしょうが楽しかったです(笑)


こういうのもたまに企画し見てると面白だろうなと思いました。

第一回世界の土木構造物をより良くするために考動する会(PBCS)


学位の取得が決まり、これからは中(研究室)も充実させつつ、学外にも目を向けていかないと
自分の高い成長率が見込めない。そんな気持ちからスタートしました。
非常にマジメで不真面目な勉強会です。PBCSは
Committee for producing better civil engineering structure in the worldの略称。
誰になんと言われようが、私は至って真面目です(笑)


数か月の構想段階、準備期間(飲み会)を経て、ようやく第一回が実現しました。
休日の大学のセミナー室を貸し切って、勉強会を開催しました。



自分の仕事の範囲だけにとらわれず、広く情報交換することで若いうちから広い視野を養って、
自分の成長の糧にして、より良い土木構造物を世界に発信していく、そんな集団になるために
考動しようというのがこの会の趣旨です。


そのために、まずは私が信頼している研究室OBOGの研究者軍団に幹事団になってもらいました。
そのうえで各業界(官公庁、ゼネコン、メーカー、大学、JR、高速、コンサルetc)から、
意識の高い、ぜひとも話を聞きたい首都圏にいる若手土木技術者を推薦する形で参加しもらっています。


現状のコンテンツは自分の関わってきた業務もしくは、話したいことを何でもよいので話してもらう。
慣れてきたら、優秀な諸先輩を招いて、講演してもらったり、どこぞやの現場へ見学会に行ったりしよう
という構想が持ち上がっております。本日は、残念ながら業務の関係で、幹事団以外のメンバーは不参加でした。
いろいろと声をかけたい気持ちはあるのですが、あまりにも大きくなりすぎると
フットワークが重くなるので、とりあえずは選りすぐりのメンバーで進めていこうと思います。


本日は、言い出しっぺ(勝手に幹事長と名乗っている)の私と、T総研のO幹事による発表。
1半時から4時半まで3時間程度、ほぼ休みなしで、発表と議論、ディスカッションが繰り返されました。
そこは、若手といえど研究者軍団。話がまったく尽きませんでした。非常に濃厚で楽しい時間でした。
ちなみに、ビールがエンジン代わりの勉強会ゆえに、イレギュラーでトイレ休憩が頻発する勉強会です(笑)


この会のもう一つの目的はやっぱりコミュニケーション。素晴らしいアイデアや、原動力はここから生まれます。
そのまま、中華街までタクシーを飛ばして、中華料理の食べ放題、飲み放題をこなします。
さらに、手相を見てもらって、将来を占ってもらい、最後は足裏マッサージで
身体のメンテナンスをしてもらって終了。このオンオフが大事です。


1年に4回程度の頻度での開催を目論んでいます。次回は、年度末を挟むこともあり
東京(多摩地区)での開催(4月)の予定です。想像以上に楽しい会だったのでよかった。


追記:初めて手相って見てもらいましたが、すごいですね。よく当たっていました。
・感性で動いて、そのあと考えるタイプらしい(日本人には珍しい手相らしい)
・天職は医者か教師
・結婚は29、30歳ぐらい
・子供は3、4人可能
・体力があって、長生きする。目が疲れ気味。頭を使う仕事
・騙されやすい
いろいろ良いことや忠告をしてもらって満足です(笑)

自走

今日は、たまたまT北大の助教をしている同期のTが出張で大学にきていたので、
久々にドクター同期3人と学食で夕食を共にした。
一人は、予備審査前という一番忙しい時期であるにも関わらず、快く快諾して参加してくれた。
短い時間ではあったが、楽しい時間だった。


これから、Tのような立場に自分もなっていくのであろうが、
いろいろと悩みや不安を抱えながらも前に前進しているのがわかった。
何よりも、楽しそうなのがよかった。なんか自信が持てる。


今は、自分の投稿論文やら博士研究の総まとめなどをしつつ、
後輩学生を指導をすることで、私がやり残している研究を進め始めている。
むろん、研究室の学生たちからの要望もどしどし私のもとに入ってくるので、
おかげさまで(?)、充実した毎日を送らせてもらっている。


研究にしろ、それ以外のことに白、自分自身が先頭に立って動いているわけではないので、
なかなかフットワーク軽く動けるわけではないところが歯がゆいと感じることもあるが、
それは教育的効果と研究成果の折り合いを見計らって進めていないと日々感じ始めている。


最近面白いのが、私の継続研究で学位取得を目指すことになったドクター1年目の留学生(スリランカ人)と
少しずつコミュニケーションの場が増えてきたことだ。
外国の設計などに詳しそうなので、いろいろと調べてもらって、妙案をしてもらえそうな予感。
M1の学生と最初は実験などを共有してもらって、自分の本番の実験に生かしてもらいたい。

リフレッシュ

審査会が終わった後は、2日間学外に出てお勉強してきました。
週末は、相方と久しぶりにドライブ(日光、鬼怒川)。楽しかった。


また明日から大学に復帰します。
ここからの1年間は私も自身でいろいろと仕掛けて行動しないと成長が望めません。
そのためには、いろいろと情報にアンテナを立てておかないといけない。


11月16日17日と、「首都圏外郭放水路」特別見学会があるようで、私はさっそく17日の午前中に
参加してこようと思います。
普段なかなか見られるところではないので、ぜひご興味のある方(分野関係なく)、ご覧になることを
おススメします!

http://www.ktr.mlit.go.jp/edogawa/edogawa00539.html

最終審査会を終えて

一晩たちましたが、見える景色は何一つ変わりませんでした。
肩の荷が下りたというか、むしろ重くなったかもなと思っています。


昨日、無事に審査会が終了しました。
そのあと、口頭で「合格」ということを言っていただきました。
おそらく及第点でしょうが、何はともあれ、学位をいただけることになった
ということは良かったです。長かったような短かかったような。
間違いなく言えることは、もう一回はやりたくはない3年間でした(笑)



3年間いろいろなことがありました。何をやってもうまくいかない。
まったく成果が出ない。同年代、後輩がどんどん社会という
次のステージに出ていく姿に、焦りを感じずにはいられませんでした。
自分は前に進めていないのではないかと幾度も感じました。
不甲斐なくて、悔しくて情けなくて。なぜこの道を選んだのか、
自分は研究者には向いていないと何度も思いました。
考え始めると負のループから抜け出せなくなって、
指導教員やHさんに泣き言を言った時期もありました。


両親には経済的にも精神的にも、多大なるサポートをしてもらいました。
修士で海外にいかせてもらい、博士課程に進学したいと言い出す始末。
両親には感謝してもしれきません。
だから、どうしても昨日の審査会には呼びたかったし、
自分がやりたいと思ったことをやれている姿を見せたかった。
私のわがままを聞き入れてくれた指導教員には感謝しています。



万感の思いで臨んだ昨日の審査会。
必死すぎて、正直あまり覚えていないのですが、お世辞にも
出来の良い発表だったとは言えるものではなかったと思います。
あれほど質疑応答の1時間が、長いとは思いませんでした。
最後の最後まで、できの悪い学生から抜け出せなくて
指導教員には申し訳ないという気持ちです。


審査会を終えてみて今思うこと。
3年間、一生懸命やった自負はあります。
でも、そこに「自分の強い主張や意思」が欠けていたのかなという反省が残りました。
審査員の先生や聴講の方からの質疑や助言を考えると、
本質はそこにあるのかなと思います。


私が博士課程に進学するときに、指導教員が言った学位の取得条件である
「社会にインパクトを残す結果」。たぶん、現状では
「社会にインパクトを残す(可能性を秘めた)結果」なのだろうなと思います。


これからは学位という普通免許をもって、その結果に向かって自走しなければいけません。
失敗を恐れず、ぶつけてでも、脇道にそれてでも前に進まないといけない。
それが私を支えてくれた人たちへ、今できる最大限のことです。
学位というのは、責任を背負うことだなと感じた1日でした。