活動性

今日は研究室の同室のメンバーを親睦を深めるということから、
大学近くの焼肉屋で夕食を食べた。その中で、ある人から言われたのが

「小松さん休まなくて大丈夫なんですか??」

という言葉だった。逆に俺はその時聞きたい。

「休むって何?」

と。


ある最近読んだ本に共感することが書いてあったので、それを取り上げたいと思う。
南極で研究活動をしているグループがあった。
最初は、暦に関係なく、南極の天気に合わせて(晴れの日は働き、嵐の日は休む)
仕事をしていたそうだ。ただ、ある隊員から暦通り「赤い色」のついた日は休みにしてほしい
と言われ、日曜日を休むことにしそうだ。


しかし、いざ日曜日になると多少の朝寝坊はするものの、
彼らはいつもどおりに仕事をこなしていたそうである。
むしろ平日よりも能率的に仕事をこなしたそうである。
その理由を聞くと、休みの日は「何も(隊長から)命令されていないので、休みです」と言ったそうだ。


人間は誰しも(よっぽどの理由がない限り)、黙っていても「活動性」を持っていると思う。
それを、自由に解放してよいのが休日であると私は思う。
だから、自分の場合、研究室の雑務に追われるでもなく(それほどでもないが)、
自分の好きな論文を読んだり、書いたりできるのは間違いなく休日である。
たとえ、週6日、7日大学に来ようとも。終電まで何かしていようとも、
精神的な疲労はない。だから続けられる。
もちろん、睡眠時間という肉体的な意味では休日は寝坊していますが。


別に家でグタグタすることを批判しているわけではなく、それはその人の「活動性」なわけです。
そう考えると、働かずに毎日勉強させてもらえることは、毎日が休日なのかもしれません。
そういう環境に身を置かせてももらえていることに感謝の念が湧いてきます。