博士課程の意義を考える


今日は私の一時的な興奮から、感情的なコメントをしてしまいました。
それに対し、ある先輩から鋭いコメントをいただきました。
これを機に改めて、自分の中で博士課程の意義を考えてみました。

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事の発端は今日発表だった「授業料免除」の結果発表でした。
残念ながらというか当然ながらというか「不採用」でした。
これをみて、自分はツイッター(自分のつぶやきをリアルタイムに仲間内に公開する情報ツール)で
「これだから日本人の博士課程の学生は増えない」というコメントを載せました。


それに対し、先輩からは以下のようなコメントをいただきました。
ざっと要約して載せておきます。


「世の中のシステムを変えるよりも、今あるシステムをどういきるかを考えるのが重要。
博士過程の学生を増やすことがゴールじゃない。」
「システムは自然と崩壊するもの。世の中が変わればシステムは後手後手に回る。
だから常に良い方向性は探し続ける必要がある。それと同時に変化に恐れシステムにしがみつく人間も
いることを認めるべきである。」

なるほど。いろいろ経験してきた人だから言える(私には言えない)ことであり、
的を得たことをおっしゃっているなあと思い、改め先輩への敬意を深くしました。


先輩のコメントを受け、素直に反省し、改めて博士課程の必要性を考えてみました。
自分の意見を取り入れアレンジしてみるとこんな感じ。


今の現状を、世の中の人、皆がそれぞれ良いと思うことを考え実行することがとても大切である。
なぜならそれが今の世の中を淘汰して、自然と良い方向に向かうことになるからである。
しかし、そのためには正直者がバカを見る世の中であってはいけない。そうでないなら、
どこかで流れを読み微修正、時には抜本的な改善が必要となってくる。


そういうことを行い易い立場にいるのが、公的な立場にあり博士の資格を有する人のみがなれる
大学教員という立場なんだと思う。彼らは研究という行為を日常的に行うことで
物事の肝をつかむ力に長けている。逆にいえば理屈で考えがちなため、システムの構成員の
現状を知らずに、良かれと思うこと(研究成果、大きな意味ではシステム改善)が受け入れられないことが往々にしてある。
これは問題である。しかしまた彼らの影響力のすごいところは、現状にとどまらず次世代の教育を行い方向性を
示せることにもある。


そういうことを分かったうえで、責任感と気概とパワーを持って博士課程に進学しよう、頑張ろうという人材を、決して
埋もれさせてはいけないし、そういうシステムは改善する必要があると思う。
奨学金はともかく少なくとも授業料に関しては、博士課程ともなると研究成果と学位と付随する教育を
Give & Takeで良いと思う。ましてや国立大学ならなおさら)
そういうところは少なくとも知る範囲で諸外国よりは遅れていると感じるのは言及しておきたいと思う。


と言って悲観的になっていては本末転倒(笑)
明日から、こうした戯言を実行できる力を養うために、改めて日々研鑽する気概を得ることができました。
あえて厳しいコメントをくれた先輩には心から感謝します。ありがとうごさいました。




リアルツイッター

やばい…3時半だ。明日のためにやろうと思ってことをしていない。
あと2時間しか寝れない。でも後悔はしていない(苦笑)