先を思う、今を生きる


人は幸か不幸か予測ができる生き物である。
先にあることが自分にとって「幸」であると感じるならば、
人は意欲的に行動できるだろ。
でも、先にあることが自分にとって「不幸」と感じると
頭ではわかっていても、どうにもこうにも気が乗らなくなる。
最悪やらなくなる。人間は情緒的な生き物だからね。


でも、良く考えてみると「先のことはあくまでも先のこと」なんだよね。
自分が「幸」か「不幸」か、今の自分が決めている偏見にすぎない。
状況だって今とその時じゃ、大なり小なり変わる。
そして、実は先のことは「その先のこと」の「過去」でもある
「不幸」の次が「不幸」とは限らないし、逆もまたしかり。
もっといえば、「幸せ」は「不幸」と表裏一体の関係にあるとも言える。


そう考えていくと、そもそも先のことが自分にとって「幸」か「不幸」か
決めることは己の視点での確率論でしかなくなってくる。
(意味が無いとは言い切れないが、絶対的なものではない)
とするならば、絶対的な価値のある「幸せの判断」とは


「今を幸せに生きること」
そして
「自分にとっての本当の幸せの形を考えること」
ではないだろうか。


幸せは自分の心が決める(by相田みつお)
自分の心次第で、幸せにも不幸にもなる(by相方)
己が描く、末を見据えた人生の幸せの軌道を歩みたいものである。

(参照:深夜のメッセより)