政治討論番組を見て

朝、たまたま生放送の政治討論番組を見た。
今何かと話題の大阪市長のHさんを含む、政治家、学者、記者による例の話題(J問題とする)に関する討論会だった。
ここでも研究脳が冴えたので、メモ。


普段研究に関するディスカッションや質疑応答等を見聞していると、
質問に対する答え方やロジカルない回答か否かということが非常に気になってくる。
結論を言えば、与党を代表してきていた自民党のA議員は、まぁ聞くに堪えない回答と質問に終始していた。
Hさんや学者などは非常にロジカルで説得力があり、首尾一貫した主張に思えた。


通常のディベートだったらHさんの勝利だろう。しかし、政治の世界の討論会だとどうだろうか。
議員のAさんが政治家として無能なのかといえば、一概にそうとは思わなかった。
じゃあ、Hさんや学者が政治家になればよいとも思えなかった。どちらかといえば、
苦しい立場であることは分かりつつも、話題をそらして置き換えて、
相手の弱みやボロを突こうとする、Aさんのほうが政治家に向いているのではと思った。
その理由は、政治はやはり多角的(空間的にも時間的にも)に判断して、
その時に(今から未来にかけて)ベターだという判断で進むしかないからである。
科学や法律のように白黒つくものではない。むしろ国益を考えた場合、うやむやなほうがいい場合だってあるだろう。
正直者は、損をすることがある世界だと思った。


歴史に関わる種々の問題は、Hさんが主張するように、その時代の価値観や正義感を度外視して、
今の価値観だけでは決して判断できないと思う。良悪は表裏一体。紙一重だと思う。
それと同じように、過去の与党の政治判断もまた、過去の価値観における良策としてなされている。
ある意味Aさんの答弁にロジックなんてものは無いのが当たり前。
政治的に大事なのは、J問題に白黒つけることではなく、その他の無数にある問題のバランスを見て、
国益を優先させること。なんか、土木的視点が役に立ちそうだなと思った。


普通のニュース番組等では、ここまでしっかりと背景が分からないまま、突出したフレーズだけが独り歩きする。
本来、多角的な視点を養うには時間がかかる。国民一人ひとりが労を惜しまず、
自助努力によってのみ真に良い政治家を判断できる日は来るのだろう。歴史の数だけ、それは難儀なものになる。
皆さん歴史を学びましょう。私も、得意ではありませんが、言うからには頑張らねば。