土木と建築

不適切な表現がありましたので、訂正させていただきました。(1月25日)


一般の方からすると、対象とするところは多少違えど、
どちらも同じようなことをやっていると思われるのではないだろうか。
もしかしたら、明確な区別はよくわからないという人もいるかもしれない。
しかし、当事者からするとこの両者には大きな隔たりがあると感じる。
物理的にというよりは、価値観や考え方の違いだと思う。
そもそも、海外では建築と土木は同じ学科として存在する国もある。


今日は、ひょんなことから大学の新学府(都市イノベーション学府)
のイベントに参加することになった。


都市イノベーション学府は土木系の研究分野と建築系の研究分野、
それに社会科学系の研究分野を統合した新しい学府である。
(との認識だが合っていなかったらごめんなさい。)


私はこの専攻ではないのだが、
人がいないとの理由から、とりあえずピンチヒッターとしていくことになった。
今日の主題としては、3.11を多角的な視点から捉えるということで、
学府内の各専攻から代表者が震災関連の研究や、震災に対する想いをプレゼンした。
フリートークやポスターセッションのコーナーの時間も折り込まれていた。


第一部は各研究分野による代表者の発表だった。そこで、事件(?)が起こった。
(多少の言い方の違いや、ニュアンスの違いがあるかもしれません。ご了承ください。)


土木系の発表(都市交通のマスタープラン発表)のあとの質問の時に、司会者(社会科学系の学生)からの質問で
「土木系のマスタープランは住民の意見を十二分に反映できていないように感じるのですが良いのですか?」という
質問をした。なるほど、こういう質問があってもおかしくはないだろう。


それに対する回答として、発表者は
今回の提案に関しては住民の意見を完全に反映しきれている訳ではない


といったやりとりをした。(削除)
でも、そのあとの司会者の発言には驚かされた。
「だから、住民の文句が建築にくるんですよね。
みなさん(建築)も思い当たる節がありますよね(苦笑)」


土木系の学生は完全にカチンときた。明らかに空気が凍りついた。
それ以降の意見交換会は、もう穏便にはならなかった。完全に内部分裂。
私も、かなり不快で1部が終わったところで退席した。



今思うと、穏便になどせず、本当はもっとその場で議論をするべきだったのかもしれない。
土木としての立場を強く主張するべきだったのかもしれない。
持論としては、土木は建築よりも、もう少し広く、
部分最適化ではなく全体最適化を考える必要があると考える。
全体とは、空間的(町・地域・国・自然との調和といった多次元スケール)、時間的(過去・現在・未来)、
経済学的、社会学的といったことである。さらに、もう一つ加えるなら、それが自立持続可能型システムとして組み込まれていないといけないと思う。
だから、必ずしも(今の)住民の意見や暮しを満足させることが、その解とはならない。
しかし住民の意見を無視していいわけではなく、それによる不平不満がでることはもちろんあるだろうし、
そのケアは怠ってはいけないと思う。
さらにいえば、だから土木がいいとか建築がいいという話でもないのも、理解いただきたい。

議論を放棄したところは、こちらの落ち度だったと思う。


あの発言を聞いたときに、そう簡単には埋められない土木と建築の大きな溝を感じた。
何も、今日に始まったことではない、土木の中でだって
「建築は○○(愚痴)だから・・・」といった発言を聞く場面は実際ある。
たった数年勉強した学生でそれなのだから・・・現場や先生の間だって・・・と思ってしまう。


考え方は、教育によって左右されることが大きい。それも若ければ若いほど
影響を受けやすい。本気で、分野の融合を図るのなら、
なるべく早い段階から、その垣根をなくす必要があると思う。


室蘭工科大だったか、あそこは研究室配属まで?
土木建築が決まらないと聞いた。しかも、配属は学生の希望がそのまま通るらしい。
研究室や分野(土木・建築)によって偏りが生じそうだが、案外均等になるらしい。


新学府は、その第一歩なのだとは思う。ただ、早く学生が、
いろいろ経験した上で進路を選択できるシステムが望まれる。