キュンキュン


今日は朝から大学へ行って研究に邁進しました。
最近、ある4年生の後輩から私が解析で使用しているPCを共有したいという申し出がありました。
彼の論文提出のデッドラインの時期も迫っていることから、彼には優先的にそのPCを使ってもらい、
私は論文を読んだり解析を使わない研究を最近はすすめるようにしています。
やることは無数にあるので問題はありません。次回の打ち合わせまで
少し間隔が空いたのも、別の意味で助かりました。


そんなこんなで、自分のPCの前での作業が多くなり、今日は何人かの4年生に質問を受けました。
4年生の追い込みの時期やM2の最終審査前の時期と重なったためと思います。
ある後輩から結果の考察や今後の方向性について質問をされたのですが、
彼の現在の持ち駒(実験結果や解析結果)では、なかなか論文としての
強いストーリー性をを構築するのは、むつかしいなぁあと聞いていて思ってしまいました。
彼も彼なりに一生懸命やった結果ですし、研究は必ずしもうまくいかないということは分かってはいるのですが、
もう少し私に早く相談してもらっていれば、事前にもっといいアドバイスができたかなぁと思いました。
現状出来る範囲で、私なりの考えを彼に伝えて、もう少し頑張ってもらうことにしました。
なんだか、胸がキュンキュンしました。


私が4年生だったころは、いまほど研究テーマも多くなく、後輩が先輩に付き従って
見よう見まねで、研究に携わっていた気がします。最近は、似たようなテーマはありますが、
個々で研究することが多く、自分の研究で手一杯。包括的に指導できる学生もあまりいません。
特にコンクリート打設の質が落ちている。学生が育ちにくい体質になっているのかなぁと危惧しています。
感じていながら、何も有効なことが出来ていないのが、なんとも情けない。


また、己のことで言えば、これまでも、何度か博士課程の学生としての立場を考えてきました。
先生と学生の間をうまく補える立場にいなければいけないのに、この1年あまりそのうまい関係を
後輩(特に4年生)と構築できていなぁったなぁというのが、今日感じた率直な反省です。
理由はいろいろあるとは思います。前期にあまり大学にいなかったことや、私自身に余裕がなかったことなどが
考えられます。


これらをもう少し広げて考えてみると、もし私が彼らの指導教員だったら(おこがましいですが)どうするだろうかという話になります。
私だったら「研究体制をどうしたいか」。この時期まで積極的に質問にこなかった(私のところに来る必要もないのですが)学生に対して
「どこまで積極的にきめ細やかに指導するべきなのか」等です。もちろん、その時の私の置かれた状況が不明なので
一概には言えませんが、スタントとしてどうすべきか、今から色々な事例を見て考えることは決して悪いことではないと思いました。
そう言う意味でも、先日参加した3大学合同ゼミは、すごくいい経験でした。


明日は、一年で一番タフなゼミ(発表者がM2とB4全員)です。
また、いろいろ感じる一日にしたいと思います。