「大変さ」と「助け合いの精神」


今日は、身体を動かしたので非常に疲れました。
日中は、骨材をサイロに移す作業があったため、サイロの清掃(これが一番個人的には大変でした)
から始まり骨材の移動、ブルーシートの片付け等、なんやかんやで大掛かりな作業になりました。
おかげで、少し腰が痛い・・・筋肉痛でしょうか。この程度で疲労がたまるなんて・・・
年取ったなぁ(><)でも、まだまだ後輩に体力で負けないぞ!と生きがっております。


4年生にとっては全てが初めての体験。カルチャーショックを受けた学生もいたようです。
「大学に入ってまで、骨材を運んだりするのか」「まるで土木作業員ではないか」
といった感想をもった学生もいたようです。こんなもので音を上げているようじゃ、お話にならん!
という根性論も心の中ではありますが、それは経験者だから言えることであって、
それを今、彼らに押し付けることが正解とは思わない。それよりは、強弱をつけながら彼らに
頑張れる範囲で頑張ってもらうことを心がけました。


別に彼らを批判したいわけではなく、おそらく大方の学生はそう感じた経験があるでしょうね。
私もそうでした。研究室生活5年目という長老的な?立場になってきて思うのは、
これはあくまで経験であって、そういう「大変さ」と「助けあいの精神」を知ることに
将来土木技術者として働くときに意味をなすんだろうなと思っています。


この「大変さ」と「助け合いの精神」の2つを知ることがすごく大切だと言いましたが、
これがなかなかの曲者。教えるときは、いつもこの2つの微妙なバランス感覚が
要求されるなと思います。どちらに重点が置かれすぎてもダメ。


例えば最近、その良い例として思うのが、学生の係としての活動です。
研究室では、昔よりいろいろなことが学生にも任せられるようになってきました。
大学は毎年メンバーが変わります。その度にパフォーマンスが落ちるのは必至。
でも、なるべく持続可能な研究室運営を行うために考えられているシステムです。
学生は自ら考えて行動する。その代わり責任は上に立つ者(先生とか)が取る。
だから、目的が同じでも、担当者によって解法が時としてバラバラです。
何が言いたいかっていうと、学生は「大変さ」と「助け合いの精神」の
コントロールがすごく難しい(その人の性格だったり、その時の時間的、精神的余裕などに左右される)
ので、何かを行う(教える)ときに、どちらかに重心をかけすぎて
自滅しそうになっているケースが見受けられるなぁと思います。


学生に近い立場(学生ですが・・・)にいる私だからこそ、後輩たちのシグナルを
見逃してはいけないと思うし、こういう想いを彼らに素直に伝えられる(伝えやすい)のは、
私の役得であり、すべきことなんだろうな思います。