スポーツの意義

先日からオリンピックが開幕しましたね。
ここ数日は、サッカー等の観戦で寝不足気味です。
ついにやりましたね、モロッコに1−0で完封して決勝トーナメント進出決定!
相方も現地モロッコで日本戦を観戦していたようで、勝利のあとに電話したら興奮して喜んでおりました。
しばらくは、石とか投げられないように注意していただきたいと思います(苦笑)


たまたま生放送で見ていてびっくりしたのが柔道の海老沼選手の準々決勝の試合。
畳横でビデオを確認している審判(ジュリーと言うらしい)が、主審・副審等に異議を申し立てて
判定が2転3転したことで話題になりました。国際柔道連盟は正しい判断ができたことを証明できた
などと言っているようですが、果たしていかがなものなんでしょうかねぇ。


ビデオを確認しているので、異議を唱えるのにどうしてもタイムラグがあることから、
試合の流れがすごく中途半端なところで遮られます。ましてや今回で言えば、
旗判定が0−3から3−0に覆るという前代未聞の判定が下りました。


選手たちはこの日のために頑張ってきているわけですから、たしかに、スポーツにおいて誤審は少なくあるべきでしょう。
そのために審判が技術力を高めることは言うまでもありません。でも、本来のスポーツの意義を考えるならば、
機械の導入までして厳密に裁くことに本当に意味があるのでしょうか。
私が思うスポーツの意義は対相手との戦ではなくて、
自分のこれまでの積み重ねから生み出される最高のパフォーマンを披露することだと思います。
たしかに試合は対相手と争っている形に見えますが、あくまでも試し合わせているだけで
スポーツは自分との戦い。結果として良いパフォーマンスをしたと賞すべき人に
勝利という称号がついてくるものだと思います。だから私は、多少の誤審があっても、
誤審させるほどまでに選手が紙一重の戦いをしたことを、称える方がいいような気がします。
機械で厳密にやりたいなら、それこそ審判員は不要でしょう。


まぁ、1意見です。