人付き合い→交流


今日は学部時代の同期で、他研究室に配属された友人2人と東京で夕食を共にしました。
研究室配属まではよくつるんでいた間柄だったのですが、研究室配属以降はすれ違いも多く、
研究室メンバーに比べると疎遠になりがちでした。


久々に会うと、昔のノリでいろいろ楽しくおしゃべりができました。馬鹿な話は盛り上がります。
ただ、打ち解けてきて少しずつ本音を語りだすと、自分と彼らとの間に気づかないうちに深い溝ができていることが分かりました。
私はそんなつもりはない(なかった)のに、人に良く思われていない。誤解されている。
大切な仲間にそう思われることほど、もったいないことはありません。
まだ言われるだけ、救われる余地があったということでしょうか。


彼らの言うことは誤解だと思っても、人にそう思われていたという事実がある以上、理由はどうであれ私に非があります。
大切な仲間だと思うからこそ、私は自分の非を認め、本音をぶつけました。
その言葉を彼らは信じてくれたようで、無事に誤解を解くことができました。
最後は、非常によい話ができたと3人満足して終わることができました。


年齢が上がるにつれ、少しずつ人の幅というものも制限されていきがちです。
仕事や家庭、そのときどきのコミュニティーという、いろいろなしがらみが多くなるにつれて、
どうしても昔の友人とは疎遠になりがちです。少ない時間の中でも、
しっかりとコミュニケーションをとることが、大切な仲間を維持していく唯一無二の方法だと思いました。


馬鹿な昔話もいいですが、しっかりと自分の意見や考えを述べれる人間になること。
自分という人間をしっかりと理解してもらい、今現在のコミュニティーの人以上に、信頼関係を築きつづける努力を怠らないこと。
「人付き合い」ではなく「交流」の精神で、一つ一つの場を大切にしたいと思いました。