間抜けの構造


周りに豪語していることだが、私は「面白い男」になりたいと思う。
そこにはいろいろな意味がある。「面白い」の一形態である「笑い」を追求する人種に
芸人という職業の人たちがいる。現代風に言うと「お笑い芸人」、もう少し古風に言うなら
「落語家」や「漫才師」など。その中でも、やはり別格だなと思うのが、今日の本の著者
ビートたけし」である。長年幅広いジャンルで活躍できるのは、何かしらの理由があるはずである。

間抜けの構造 (新潮新書)

間抜けの構造 (新潮新書)


間の取り方で「人への伝わり方」は180度変わる。私が思う「笑いの大きさ」の方程式は
「笑いの大きさ=観察眼×表現力×間」前者の2つはスカラー量で、洗練されればされただけ大きくなる。
しかし「間」は正負の符号がついているイメージ。(無論、私に「笑いのセンス」があるかないかは別問題である)


一口に「間」といっても、いろんな「間」がある。大別すると「時間的な間」と「空間的な間」なのかな。
特に後者は、受け手に創造性を与えるという意味で、非常に重要な「間」であると思っている。
概して、日本人は前者が得意だが後者が苦手なのだと思う。方程式の話で言うなら、「間」は3次元的な正負のベクトル量である。


さらに「間」の面白いところは「間を読んだほうがいい」場合と「間を読まない方がいい場合」があるということ。
もちろん後者は前者ができて始めてできることだろうが。


この「間抜けの構造」という本は、私の研究者という立場で、いろいろと参考になる。
研究者は研究をしていれば良いわけではなく、やったことが伝わらないと意味がない。
さらに言うなら、やったことを伝えるのは最低限で、その内容がいろいろなことを示唆する
本質的な内容であるという深みも伝えないといけない。それを伝える相手も、専門家とのきもあれば、
市民が相手の場合もある、学生の場合もある。経験を積み、感性を研ぎ澄ませることで、始めて良いプレゼンになる。


やっぱり私は「面白い男」を一生かけて目指していきたいと思う。