成長期

ここのところ、いろいろなことが並行して進んでいます。
論文を書いて、指導教員から返却された論文を再考して、なおかつ研究も前進させる。
また、後輩たちが自身の研究のことで相談にも来てくれるので、その対応もしたりしていると
ホントあっという間に一日が過ぎていきます。まあ、非常に充実しているという意味で不満は全くありません。
とりあえず、注意力が散漫にならないようにだけ気を付けないといけないなとは思っています。


それにしても、指導教員から論文の添削結果が返ってくると改めて、
真に研究の意義を自分は理解でいていないということが「よくわかります」。
ただ、そうは書きましたが、言っても私は今までも「自分が未熟だと気付いたというような」コメントを
このブログ上で書いてきています。つまり、正確には未熟さが「よくわかっていない」から、
今日まで何度も指摘されているのであって本当の意味で分かったら2度とそのような指摘はされていないはずです。
それくらい、この期に及んでも、研究を真に理解するのは難しい。少なくとも私はそう状況です。
ただまぁ、自分でもこの機が成長の最後の最大のチャンスだとも思っているので、
信じて食らいつこうとは思っています。


そして、こうした題材は、何も研究に限らず研究室内のいたるところに、日々転がっているように感じます。
学生はすぐに、いろいろなことで目的と手段を見誤り、物事の全体像が見えていないから本質をつかめないのだと先生に指摘される。
きっとうちの学生だけじゃなくて社会人ですら多くの人がそうなのだろうと思います。
自分は、なんでこの仕事しているんだろう。
愚痴をこぼしてやっつけ仕事をするのは簡単ですが、本当にその真の意味を考えようと行動している人が
どれだけいるかは疑問です。日々こうした思考のプロセスを何かしらにつけて行い、
結果を行動に生かそうとしている人は、たとえ同じことをしていても、自分への影響度が他の人とは格段に違うでしょう。
その繰り返しの中で着実に力をつけ、結果的に真のリーダーとして頭角を現するのだろうと思います。
まぁ、偉そうに書いていますが、私はまだまだ発展途上です。


これは、もちろんセンスもあるでしょうが、センスのない私のような凡人は、時間をかけてでも体得するしかありません。
上からコツを教わり自ら体得し、後輩にアウトプットすることで自分の中で完全に消化していく。
日々そういうやりとりが周囲で繰り返し行われ、考えることに時間を割くことが許されている。
こんなにも成長のチャンスにあふれている今の環境というのは、本当に幸せだなと感じます。